So-net無料ブログ作成

運命の2月19日 [Sony・Video]

本日東芝よりHD DVDの終了が発表されました。

HD DVD事業の終息について(東芝のプレスリリース)

僕はもう2年半も前に「東芝さん“詰んで”ますよ」と記事にしたぐらいなので、東芝の撤退はむしろ遅すぎたとさえ思っていますが、奇しくも2月19日というのは6年前にBlu-ray Discの規格発表が行われた「Blu-ray Discの誕生日」であり、

ソニーや松下など9社が、光ディスクレコーダ規格「Blu-ray Disc」を策定―青紫レーザーを使用し最大容量27GB、来春にライセンス開始予定 (impress AV Watch)

その同じ2月19日に東芝が白旗をあげたことには、ある種運命的なものを感じてしまいます。

そう、全ては6年前のあの時。

2002年2月19日のBDF(当時のBlu-ray Disc推進団体)キックオフに、国内大手DVDレコーダーメーカーで唯一東芝だけが参加しなかった。これこそが東芝敗北の最大の原因だったわけです。

あの場になぜ東芝がいなかったのか、前日の2月18日夜までギリギリの交渉が行われていたのは、当事者の方々の証言で明らかになっていますが、Sony・フィリップス・松下電器・パイオニアといった光ディスクの雄と言っていい企業が一同に集まって作った規格に、実質東芝一社だけで本当に勝てると思っていたのなら、あまりに無謀といわざるをえません。

ここらへんの経緯についてはちゃんと取材した本も何冊か出ているので、それを読んでもらえればいいのですが、この長き戦いの軌跡を整理しておくために、僕の素人解釈も含め少しだけ振り返ってみようと思います。

 

そもそもなぜBlu-rayとHD DVDに分裂したのか、その根本原因は一つ前の世代“DVD”の規格争いにあると考えられます。

今はDVDという業界統一規格が全盛を誇っているので、AVマニアの読者の方ぐらいしか覚えていらっしゃらないと思いますが、実はDVDが誕生するときも今回のような激しい規格争いがあり、規格分裂は不可避寸前の状態まで行っていました。そのとき争ったのが、Sony・フィリップスが推進する「MMCD(マルチメディアCD)」規格と松下・東芝・パイオニアを中心とする「SD(super density disc)」規格です。

MMCDは音楽用CDを生み出したSony・フィリップスが、CDの基本構造(直径12cmで1.2mm基板(BDで言うところの保護層)のディスク)を踏襲し「CDの設備が使えて安くすぐに作れる」ということを売りとしていましたが、SDは松下・東芝が開発した0.6mm基板(保護層)を二枚貼りあわせるという新しいディスク構造を採用し、「3GBのMMCDよりも大容量の5GBが実現できる」ということを売りにしていました。

ところがこの規格争いは、MMCD陣営が1994年の11月、SD陣営が1995年の1月にそれぞれの規格発表をして分裂が決定的となる前、ちょっとした興味深い動きが起こっていました。1994年のはじめにSonyが松下に「規格を一緒にやりませんか?」と声をかけ、松下も「規格統一が好ましい」とのことで、後にMMCDとなるSonyの規格案に松下が乗っかるカタチで統一の話が進んでいたのです(そのきっかけとなったのは、ビデオカメラ用のDV規格を作る過程で出来た、両社のパートナーシップ関係と言われている)。

しかしSonyと松下でいざハリウッドに行ってみたところ、どうも評判が良くない。その原因はMMCDの容量不足にありました。3GBでは十分な画質・音質で映画を入れることが出来ないというわけです。そのうえ0.6mm技術を一緒にやってきた東芝からは、「MMCDには乗れない」という断固拒否の姿勢が示され、松下としては困った状態となります(このとき既に東芝とワーナーは資本提携関係にあり、ワーナーがハリウッドにMMCD拒否を勧めていた)。

結局0.6mmのほうが容量にもすぐれているうえ、松下・東芝で基本特許を抑えている面もあり、1994年末(麻倉怜士氏によると12月15日の午後)松下はSonyと袂を分かち、松下・東芝によるSD陣営が立ち上げられて規格争いに突入していったわけです。

この争い、各社が色々な思惑で動いていましたが、最終的な本音としては「CDの基本特許をおさえていて、DVD世代にもそれを引き継ぎたいSony・フィリップス」と「CDのしばり(Sony・フィリップスへの特許料支払い)から抜け出して、自分達がもらえる側になりたい東芝」というのがあったのは間違いありません、全てはお金のためなのです。

で、なぜこの規格争いが最後の土壇場で統一に成功したかというと、音楽CD成功の立役者で、MMCDにこだわっていたSonyの大賀社長が、ちょうどこの1995年に交代の時期を迎え、かわった新社長が東芝に、「信号変調方式以外は全てSDで構わないから統一しましょう」という大幅な譲歩を表明したからです。

その新社長こそ出井伸之氏。著書「迷いと決断」でも自身で回想しておられます。

ー私はこの主導権争いは企業戦略上はマイナーな問題である、と位置付け、東芝陣営に和解を申し入れました。戦力と時間を費やしている余裕は無かったのです。

このSony側の譲歩によって、統一された再生用DVD規格が誕生し今に至ります。

 

このように統一に成功したDVDですが、光ディスクの技術者は「まだ次がある」ということがわかっていました。DVDとてたかだか4.7GB、標準画質の動画を収納するのが精一杯の容量で、青色レーザーが実用化され、飛躍的に記録密度を上げた究極のハイビジョン用光ディスクが、早晩必要になってくるのは自明のことだったからです。

その第一弾となる技術は1999年7月に早くも登場します。光ディスクや光メモリに関する国際学会ISOM/ODSで、あのMMCDで苦杯をなめたSonyとフィリップスが技術発表を行ったのです。

【ISOM/ODS速報5】Philipsとソニー,DVDの次世代をねらう光ディスク・ビデオ・レコーダの概要を発表,赤色レーザで片面9.2Gバイトを記録(日経Tech-on! 要登録)

このとき発表された「DVR-Blue」が、後にBlu-ray Discの基礎になるのですが、保護層はDVDよりさらに薄い0.1mm、ピックアップレンズの開口数NA=0.85(DVDは0.6)、使用するレーザーが波長405nmの青紫色レーザー(DVDは波長650nmの赤色レーザー)、という基本構造はBlu-ray Discと全く一緒で、いかにこのDVR-Blueが先を見越した規格だったか、そして「東芝・松下のDVDの特許に縛られたくない」という想いから、DVDを完全に無視した構造を採用していたかがわかります。

一方このころの松下は、次の規格はDVDと同じ0.6mm保護層で行くことを検討しており、研究もその方向で進んでいました。しかし松下の「同じ0.6mm構造で作れば、一つの青紫レーザーで現行DVDも次世代DVDもどっちも読めるだろう」という目論見は外れ、たとえ0.6mm構造でもDVD用と次世代DVD用の二つのレーザーが必要になることが判明し、松下もSonyと同じ0.1mm保護層に開発ターゲットを変えていくことになります。

そんななかで2000年の正月、Sonyと松下の光ディスク技術者が出会い「一緒にやれたらいいね。」という話が持ち上がったのは、Blu-ray Discの宿命だったのかもしれません。

Sony・フィリップスのDVR-Blueは業界に多大なインパクトを与え、まずパイオニアがSony陣営に加わり、2000年10月のCEATECにDVR-Blueレコーダを参考出品、翌2001年のCEATECではシャープも加わってDVR-BlueはSony・フィリップス・パイオニア・シャープ陣営となります。

この同じ2001年10月のCEATECに、「2層相変化RAMディスク」を出品したのが松下・東芝・日立陣営で、世間は「また規格争い勃発か!?」と色めきたったのですが、この2層相変化RAMディスクよくよく調べてみると、DVR-Blueと同じ「0.1mm保護層、NA0.85レンズ、405nmレーザー」を採用していて、あとは細かい記録方式を整理すればDVR-Blueと合流可能な構造になっていました(しかも開発コードが「HD DVD」!)。

松下電器,片面2層50Gバイトの次世代DVDの最新成果を披露(日経Tech-on! 要登録)

そう、すでにこの段階でSony・松下の合体規格(日立もそれについていく)構想は完成まで秒読み状態に入っていたのです。実際この2001年10月からBlu-ray Disc規格立ち上げの最終準備が本格的に始まり、DVDの恩讐を乗り越えた業界統一規格の誕生は目前となります。

しかしこの動きを快く思わなかった会社が一つだけありました。それが東芝です。

次世代光ディスク規格は、かくして分裂した(ITmedia +D Lifestyle)

>「2001年末の段階で、すでにソニーが各社に声をかけ、後のBlu-ray Disc Foundersとなる組織を集めていた。われわれはすでに0.1ミリシステムに関して、DVD Forumに提案できるだけのものを完成させていたため、“このシステムをベースに構築すればいいじゃないか”と説得したが、受け入れられなかった。とくに、一緒に開発していたハズの松下電器がソニーの呼びかけに追随したことは、われわれの目には意外に映った」(山田氏)。

どうも東芝の技術者には、自分達が主導権を握るDVDフォーラムが絶対の存在であるとの思いが抜け切れず、松下が離れるなんて思ってもいなかった勢力がいたようです。

結果冒頭でお話したとおり、2002年2月19日のBDFキックオフには東芝の姿はなく、その後東芝はNECの研究していた0.6mm構造のディスク規格を採用してHD DVD規格の誕生となるのですが、その主張は「DVDと同じ基本構造なので安く作れる」というものでした。これは完全にMMCDの時と同じ論法です(東芝の本音が「消費者のため」でも、「ハリウッドなどのコンテンツ供給側のため」でもなく、「自分たちの既得権保護」にあったところまで一緒)。

しかし強硬派がタイミングよくいなくなったMMCDのSonyと違い、東芝は技術陣を中心とする強硬派に振り回され、規格統一は果たされず2006年になってどちらもプレーヤーを発売、そしてDVDの規格争いと同じくハリウッドのスタジオはより容量の大きなBlu-ray Discを選択し、2年ともたずに東芝の撤退という終焉を迎えます。

東芝と協力しMMCD敗北の一助となったワーナーが東芝を裏切ったことが、HD DVDにとどめの一撃となったのは「なんという皮肉」としか言いようがありません。東芝はMMCD失敗の歴史から何も学ばなかったのでしょうか?

・CDの成功体験に縛られDVDでは屈服せざるを得なかったものの、それをバネにBlu-ray DiscをものにしたSony。

・DVDの成功体験に縛られBlu-ray Discに完敗したため、光ディスク関連事業そのものが危うくなった東芝。

・常に柔軟に対応し、あえて先頭に立って引っ張らず、自分達の高い技術力で味方した規格を勝利に導けばよいと考え、二連勝した松下。

この三社の光ディスク事業の栄枯盛衰を見ていくと色々な想いがこみ上げてきます。

「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」

2月19日は光ディスク業界にとって忘れられない日として、これからも記憶されていくことでしょう。

 

今回の記事は麻倉怜士氏の著書「松下電器のBlu-ray Disc大戦略」を元に書いたものです。Blu-ray Discの誕生に興味があるかたは必読の本ですよ。

松下電器のBlu-rayDisc大戦略

松下電器のBlu-rayDisc大戦略

  • 作者: 麻倉 怜士
  • 出版社/メーカー: 日経BP社
  • 発売日: 2006/12/07
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

nice!(15)  コメント(3)  トラックバック(1) 
共通テーマ:パソコン・インターネット

nice! 15

コメント 3

Riever

なるほど、興味深いです。光ディスクの観点からすると、CDの頃から一連の流れがあったんですね。
それにしてもMMCDを打ち負かした東芝が今回負けたというのは、過去の敵を分析していなかった、ということですね。
過去の事例があるなら、それが敵であっても分析しないと、再び争いが起きたとき、それが熾烈になればなるほど不利ですからね。分析不足というのはあったと思いますね。
ただ、一番大きい原因はDVDで主導権を握っていたエゴだと思いますが(^^;;
by Riever (2008-02-20 17:36) 

かつぽん

深いですねぇ・・・
いや、久々に金払ってでも読みたい文章に出会いましたわ。
ありがとうございました!!
by かつぽん (2008-02-21 00:46) 

Virgo

「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」

響く言葉ですねぇ。

うちの会社のおじさま達にも聞かせてやりたいです。
m(__)m
by Virgo (2008-02-21 01:50) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 1

メッセージを送る